司法試験の夢破れて不動産業界に
大阪、京都のベッドタウン滋賀県草津市に本社を置く株式会社レック代表取締役石澤正義氏は、立命館大学法学部在学時より法曹界を目指し、司法試験に3回チャレンジしたのだが、夢かなわず25歳で就職活動を開始した。
同級生は商社や都市銀行に就職している。石澤氏にとっては大学卒業後の3年という時間は決して無駄だとは思わないが、同級生に遅れをとったというあせりはあった。
新聞の募集広告を見て面接に行った会社がエイブルの前身の大建という会社だった。
「こんなことを言ったら怒られるかもしれませんが、私は大証1部上場の大阪建物だと思って面接に行ったんです。ですがどうも様子が違う。これは明らかに会社を間違えたなと思ったんですが、オーナー自ら面接して下さって、非常に私のことを気にいってくれたんです。それで、ここまで気にいられたのならこの会社にお世話になろうと決心したんです」
当時、京都では3、4店舗がオープンしていた。早速、京都の今出川センターに配属され、2日目には営業に出された。営業といっても何をしていいか分からない。
「マンション・アパートを家主から預ってこいと言われる訳ですが、こちらには何もノウハウはありませんし、教える方にもノウハウがない。当時、京都新聞に毎日広告を出稿していましたし、他の新聞や週刊誌にも出稿していましたから、広告に掲載する物件情報の原稿を作成しなくてはなりませんし、原稿をつくるために物件を仕入れなくてはなりませんから、毎日を仕入れ営業と原稿づくりに忙殺されていました」
この経験が活かされて、石澤氏は2年後の27歳の時に独立することになる。
「京都は中小企業が多いんです。アパート経営のオーナーさんも中小企業経営者が多い。毎日あちこちのオーナーさんを回っているうちにヘッドハンティングされ、レンタルハウスという会社を創業したんです」
石澤氏の手腕と当時の景気が相俟って会社は2年間で9店舗を構えるほどになった。しかし、好事魔多しである。バブルの崩壊で負債を抱え、自宅まで手放すことになる。
「所詮雇われ社長です。バブル景気で勢いだけでやりましたが、調子に乗って銀行の言う通りに土地に手を出して、あと2、3億で100億規模を取り扱う不動産会社になるという時にバブルが弾けました。社長としての責任は勿論のこと、社員を守らなくてはいけませんから、自宅も何もかも処分して整理したんです」
結局、この整理に5年という時間を費やした。石澤氏もまたバブルに叩かれ、苦悩した経営者の一人だったのだが、もう一度人生をやり直すためには何をすればいいのかという明確な目的意識があった。
その手段として、学生時代からの住み慣れた京都を離れ、滋賀に拠点を移すことになる。平成3年2月のことだった。 |